特許紛争の任意交渉とはどのようなものですか?特許権侵害訴訟提起前の紛争解決に向けた訴外交渉について

特許交渉

特許紛争における任意交渉とは

先日、IBMが楽天に対し米国で特許訴訟を提起したという報道がありました。両者は6年にも及ぶ交渉をしたようですが、最終的な解決には至らなかったようです。

特許訴訟は費用も時間もかかりますので、法廷で争う前に当事者間で解決に向けた話し合いをすることがあります。これは、任意交渉、訴外交渉などとよばれています。

この任意交渉はどのように進行するのでしょうか。今回は、特許権侵害紛争の解決に向けた任意交渉について概観します。

米IBMは米デラウェア州連邦地裁に、楽天がインターネット通販などのサイトやアプリで4件の特許を侵害しているとして、技術使用の差し止めや損害賠償を求めて提訴した。IBMは2015年以降、ライセンス契約の交渉を求めてきたが、「楽天側が交渉を拒否した」(IBM)として、提訴したと主張している。楽天は「コメントできない」としている。 米IBM 楽天を提訴 4件の特許侵害を主張: 日本経済新聞

本記事における用語について

任意交渉に関する用語は様々ですが、本記事では次のとおりとします。なお、特許法上の発明は物の発明、単純方法の発明、生産方法の発明の3種類に大別されますが、以下では被疑侵害物件の販売行為が物の発明の特許権を侵害している旨の主張を想定しています。

本記事における用語
特許権者 特許権を保有している者
被疑侵害者 特許権を侵害していると主張されている者
被疑侵害物件 特許発明の実施品である旨の主張がされている製品

非侵害主張について

構成要件非該当について

任意交渉において、特許権者は特許権の侵害を主張し、被疑侵害者に対し損害賠償、販売差止め、ライセンス契約の締結などの対応を求めます。これに対する最も典型的な反論は、被疑侵害物件の販売等は特許権を侵害しない、という、非侵害の主張です。

この非侵害の主張には大きく分けて3種類あります。被疑侵害物件が特許発明の技術的範囲に属していないという構成要件非該当の主張、そもそも特許が無効である旨の特許無効主張、及び、被疑侵害者がなんらかの実施権を有している旨の実施権の主張です。

構成要件該当性については、特許請求の範囲を構成要件毎に分説し、被疑侵害物件が各構成要件を充足するか否かについて議論をします。主張・反論・再反論というような形で、議論が出尽くすまで当事者間の話し合いの回数を重ねる事が多いです。

技術的な議論になりますので、技術者の助言を求めることもあります。

特許無効主張について

特許権は特許庁審査官の審査を経て登録されますが、審査官が発見できなかった無効理由が存在することがあります。そのような無効理由の存在については、被疑侵害者側から主張をします。

無効理由がなければこの主張はできませんので、被疑侵害者は無効理由を発見しなくてはなりません。そのためには、先行文献を調査したり、包袋を精査して無効理由を探すことになります。先行文献調査は高額の費用(数十万円~数百万円)がかかる上に、無効資料として有効な先行文献が発見できるかどうかもわかりませんので、先行投資が必要になります。

実施権の主張について

被疑侵害者が、特許権者が覚知していない、なんらかの実施権を有していることがあります。

例えば、被疑侵害者が特許出願より前に被疑侵害物件を販売していたような場合は特許無効理由(公然実施)になりますが、先使用による通常実施権(いわゆる先使用権、特許法79条)を有することにもなります。先使用権は法定実施権といわれる通常実施権の一種ですので、特許権者は、先使用権を有する被疑侵害者に対し、差止めや損害賠償等の請求をすることができません。さらに、特許権者側としては特許を無効にされるよりも先使用権を認める方が自社の利益になることがあります。

また、被疑侵害者が約定による通常実施権を有する場合もあります。

通常実施権は特許権の譲受人に当然に対抗できますし(99条)、通常実施権は登録原簿には記載されないので、譲渡された特許権には譲受人(現特許権者)の把握していない通常実施権が付着している場合があります。

すなわち、特許権の譲渡前に前特許権者と被疑侵害者が通常実施権の設定契約を締結していた場合、被疑侵害者は譲渡後の現特許権者に対しても、通常実施権者の地位を対抗できます。

通常実施権の当然対抗

特許権の売買やM&Aの場合にはDDや表明保証がありますのでこのような事態は起こりにくいでしょうが、倒産処理のために現状有姿で売り払われた特許権のような場合、譲受人は通常実施権が特許権に付着していることを知りようがなく、このような事態が生じることがあり得ます。

被疑侵害者が通常実施権を特許権者に対抗できる結果として、特許権者は通常実施権者である被疑侵害者に対し損害賠償や販売差止めの請求ができません。ただし、被疑侵害者と前特許権者との間の通常実施権設定契約が有償のライセンス契約であった場合、被疑侵害者と譲受人(現特許権者)との間で同様のライセンス条件となるかについては特に裁判例も無く、解釈に任されています。

交渉の終了

議論が煮詰まると、特許権者、被疑侵害者の双方が一定の心証を持つに至るでしょう。そこで、紛争解決に向けたアクションをとることになります。

被疑侵害物件の販売を停止する場合

被疑侵害者側は、交渉における議論によって自身が特許権侵害をしているという心証に至った場合、訴訟が提起される前になんとか事を収めたいと思うかもしれません。その場合、被疑侵害物件の販売を自主的に停止することがあります。そうすると、損害賠償額が膨らむのを防止し、特許権者が訴訟を提起するモチベーションを下げることができます。

被疑侵害物件の販売を停止すると、将来の特許権侵害の可能性が無くなります。よって、過去分の損害賠償金を支払ったり、特許権侵害の事実は認めないながらも「解決金」名目で金員を支払い、紛争を終結させることが可能となります。

損害賠償金は過去の特許権侵害に対する損害を填補するものですので、被疑侵害物件の売り上げ等に基づいて算出することが多いです。一方で「解決金」名義の場合には、特に根拠を示さずとも、一定の金額を提案することになります。いずれにせよ、両当事者が金額で折り合うことができれば、紛争は終結します。

紛争終結の際には和解契約書(示談書)を取り交わして、お互いの約束を文書化しておくことが重要です。和解契約書には紛争を完全に解決し、今後は同一特許権による請求などができないよう、お互いの権利義務関係がもはや存在しないことを確認する、いわゆる「清算条項」を設けるのが望ましいです。

特許実施許諾契約を締結する場合

被疑侵害物件の販売継続が重要な場合、被疑侵害者は販売を停止できません。そのような場合には、訴訟提起を避けるために、特許実施許諾契約(ライセンス契約)を締結する選択肢があります。

ライセンス契約中には、一時金やランニングロイヤリティ(又はその両方)の支払い義務を定めます。ランニングロイヤリティの場合には、特許権者に対し、売上を開示し、売上額に基づくロイヤリティ(実施料)を支払うことが一般的です。すなわち、売上額という経営上重要な情報を競業者である特許権者に開示する事になるのを考慮すべきです。

なお、ライセンス契約の締結は被疑侵害者に悪いことばかりではありません。特許権の存在が第三者に対する参入障壁となりますので、被疑侵害者としてもライセンシーとしての恩恵を享受できるというメリットがあります。

交渉決裂の場合

任意交渉には判断権者がいませんので、お互いの主張が平行線となり、決着がつかないことも多いです。また、被疑侵害者が必ずしも誠実な交渉態度をとるとは限りません。

さらに、被疑侵害者は、自主的な判断で金員を支払うよりも、司法の場で裁判官が認定した額を支払いたいと考えるかもしれません。特に大きめの会社の場合、そのような傾向が見受けられます。

交渉決裂の場合には、どちらかの当事者が交渉を打ち切る旨を通告したり、最終的な立場を相手方に伝えたりして、交渉を打ち切ることになります。

交渉を打ち切ったからといって、必ずしも訴訟提起されるわけではありません。被疑侵害者側の反論が説得的であった場合や、販売数量等の開示により訴訟のメリットがないことが判明した場合には、特許権者側も軽々に訴訟提起するわけにはいかないからです。

しかし、交渉決裂の場合に両者で契約を締結することはありませんので、被疑侵害者側はいつ訴訟を提起されるかわからないという不安定な地位におかれることになってしまいます。

そのような事態を避けるために、被疑侵害者側から、特許権者が被疑侵害者に対する損害賠償請求権等を有しないことを確認する確認請求訴訟を提起して、司法の場で決着をつけることも可能です。例えば、以下の記事では著作権侵害に関する訴訟を取り上げましたが、これは被疑侵害者が著作権者側に対し、著作物の利用にかかる請求権(著作作権侵害に基づく損害賠償請求権又は不当利得返還請求権)を有しないことを確認することを請求する、確認請求訴訟を提起した事案です。

JASRAC一部敗訴?音楽教室事件控訴審判決(知高判令和3年3月18日•令和2年(ネ)第10022号)のポイント。

被疑侵害者が無効資料の収集に成功し、特許が無効であるという確信を得た場合には、特許無効審判を請求して、特許権を無効にする選択肢があります。特許を無効にできれば特許権ははじめから存在しなかったことになります。また、特許無効にまでは至らずとも、特許請求の範囲を、被疑侵害物件が含まれなくなるように訂正させることができれば、非侵害となります。

ADRによる解決

任意交渉を通じて争点が明確化されていますので、裁判所の知財調停や、日本知的財産仲裁センター(JIPAC)の仲裁や調停、弁護士会の仲裁というような、裁判外紛争解決手続(ADR)を利用することも考えられます。

当事者間での話し合いには判断権者がいないため、水掛け論になりがちです。当事者は必ずしもADRに応じる義務はありませんが、中立公平な仲裁人等を間に立てて話し合いを進めることによって、有効な解決が図れる場合もあります。

しかし、特許紛争におけるADRの利用はさほど活発ではありません。

紛争解決に要する期間

任意交渉による特許紛争の解決に要する期間は様々です。

上述の楽天とIBMのように6年もかけて解決に至らない場合もありますし、交渉が1~2年かかることもざらにあります。

しかし、特許権侵害に基づく損害賠償請求権や不当利得返還請求権には消滅時効があり、交渉が長引くと特許権者側が不利になりかねません。また、被疑侵害者側も損害賠償額が膨らんでしまう可能性があります。

決着がつくかどうかすらわからない任意交渉に時間をかけるのはあまり得策とはいえませんので、あらかじめ一定のタイムリミットを定める(相手方に通知するか否かはさておいて)ことも多いようです。